【森からの便り】2011年 夏・秋
明治の元勲・山縣有朋の創設した森林

山縣有朋記念館の森林は、栃木県北東部の矢板市の北に位置し、明治17年(1884)元勲・山縣有朋により創設された山縣農場にあります。
移住者を受入れて、篠の生い茂るばかりの荒地を水田と畑に開墾し、雑木山にスギ・ヒノキを植林しました。
有朋のイデオロギーである“農は国家経済の基本”を自らこの地で実践しようとしたものです。
戦前に農耕地のほとんどを小作人に分譲し自作農家にしたので、戦後の農地改革の影響はなく、高原山々麓の山林(約400ha)が残りました。
人工林率91%を占める造林地のほとんどは、戦後にスギ・ヒノキを植林した森林ですが、創業時に植林した100年生以上の森林も残っており、120年を越える歴史のなかで築かれたものです。
山縣有朋

山縣有朋(1846-1922)は、幕末から明治・大正にかけて活躍した軍人そして政治家です。
長州藩出身で、吉田松陰の松下村塾に学び、高杉晋作らと奇兵隊を率いて倒幕運動に活躍。
明治維新後に新政府より欧州視察の命を受け訪欧し、帰国後は廃藩置県、徴兵制(国軍としての軍隊制度)の制定、
地方自治制度確立、近代官僚制度構築など新体制の形成に深く関与しました。
第3代および第9代内閣総理大臣、参議、初代参謀本部長、初代内務大臣、枢密院議長などを歴任。
伊藤博文亡き後は元勲として元老筆頭となり政界に大きな影響力を与えました。
近代日本の基礎をつくった日本人の一人としてその中心的役割を果たしました。
山縣農場内にある「山縣有朋記念館」

記念館の建物は、現存する数少ない明治時代の洋風木造建築の一つで、建築史のうえでも貴重なものであり、栃木県有形文化財に指定されています。
明治42年に神奈川県小田原市の山縣有朋の別邸古稀庵に建てられた木造洋館で、当時の元老や歴代首相をはじめ、閣僚、重臣等が頻繁にここを訪れ国事を論じたといわれています。
大正12年の関東大震災で被災したものを、山縣農場内に移築し現在に至っています。
設計者の伊東忠太(1867-1954)は、日本の洋風建築の先駆者であり、明治・大正・昭和期の建築家・美術史家で、その独特な設計で知られています。
この建物は現在、博物館となっており山縣有朋の遺品等が展示されています。
山縣農場図稿

『伊佐野農場圖稿』(山縣農場は当時「伊佐野農場」と呼ばれていた)は、明治25年当時の農場管理者であった森勝蔵が記したもので、
当時の日常生活、林業、農作業、開墾に伴うトラブルや年中行事を細かく記述してあります。
その様子を水墨画で描いた挿し画が各項ごとに入れてあり、その挿し画は、人物の服装から農具、周りの風景、
種の蒔き方にいたるまで多岐に渡り詳しく描かれており、当時の農山村の風俗について知ることの出来る珍しい記録であると同時に、
森勝蔵の軽妙な人物描写なども興味深く、貴重な民俗資料として山縣有朋記念館に展示されています。
スギ林(人工林)

間伐を行なった50年生のスギの林では上から日光が入り良い環境になっています。
持続可能な間伐を考えることで、伐採過度のないようにし、数年後には残った木が風害や土砂災害にあうことなく順調に成長して、再び間伐できる環境になります。
ヒノキ林(人工林)

枝打ちを数回行なったこのヒノキの林では、無節の木々が成長しています。
ヒノキは病気になることもあるため、除伐やつる切りなど手入れをしっかりする事が大切です。
除伐など適当な作業を行なった場所では曲りの少ない優良の木材生産が期待できます。
スギ115年生(人工林)

皆伐を行わず長期的に施業された高齢林の林では、100年を越し今も成長を続ける木々がそびえ立っています。
皆伐を行わず、適度な間伐を繰り返しているため、日光が立木の根元に届き、高齢林の下では差し込まれた光により広葉樹が生え、
土壌の流出防止など環境の保全にも役立っています。土壌の流出を防ぐことにより、水源涵養や森林生産力の維持にもつながり良い林地になると考えます。
彩(あや)の森(広葉樹林)

広葉樹が広がる“彩の森”では、植樹祭で植え付けられた広葉樹が年々大きく成長し、気持ちのいい景色が広がっています。
年間を通し、春から夏にかけては、新緑や花々を楽しめ、秋には赤や黄色に紅葉した木々を楽しむことができます。
落ちた種子により天然更新が行われるため、自然の循環を見ることもでき、子どもたちの教育などに役立っています。
林道

当森林内には林道が7路線あり、 延長15,720mとなっています。
その他の作業道14,280mとあわせて総延長は30,000mとなっています。ここ数年のゲリラ豪雨のための被害が多く、年数回メンテナンスを行なっています。
森林内に流れる川

当森林内には、金精川、木の芽沢川、天沼川、沢入川の4本の川が流れています。
それぞれ水量は年間を通じて安定しており、山林のなかを流れているので落差もあり、水力発電に適しています。
もともと大正11年から昭和39年まで発電していた旧金精川水力発電所跡が残っており、それを再開発できないか検討していました。
東日本大震災と福島原発事故以来、クリーンで再生可能なエネルギー資源としてさらに水力発電が見直されており、
地球温暖化の大きな要因とされるCO2や大気汚染ガスを排出しない水力による発電を、当森林内の金精川とすべての川で実現すべく計画中です。
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